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1.発足
第二次世界大戦後、朝鮮半島の満州からの引揚者に対する医療救護活動が厚生省引揚援護局により行われました。その活動の一環として、当院は昭和21年2月に福岡市御供所町(ごくしょまち)の聖福寺(しょうふくじ)内に財団法人在外同胞援護会救療部聖福病院として発足しました。
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同時に聖福寺の有力な檀徒であり、発足に尽力された緒方龍先生(緒方竹虎の弟、大正10年京都帝国大学卒)が初代院長に就任しておられます。
なお、聖福寺は宗から帰国した栄西が鎌倉時代の1195年に開山した名刹として名を馳せております。
昭和40年12月に聖福病院を閉鎖し、東区千早に新築移転し、国家公務員共済組合連合会千早病院と名称変更され、現在に至っております。
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2.「千早病院」の命名: 仁保喜之元九大1内科教授
昭和40年に聖福病院から千早地区に新築移転する際に病院名の一般公募が行われました。
千早という土地名をそのまま病院の冠名にするという単純な提案もあったそうですが、"千早という名前は、「千早ぶる神代もきかず、竜田川、からくれないに水くくるとは」という百人一首にもあるように、「神」の枕詞であり、同時に近くに名立たる筥崎宮、香椎宮があり、千早という古語にふさわしい場所であり、千早病院という名称を提唱したい"という当時20歳代の九大の無給医局員でありました仁保喜之元第1内科教授の提案が採用されました。
当時の西岡院長から瓶底にその旨が銘記された立派な花瓶が仁保喜之無給医局員に命名記念として贈呈されています。
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3.沿革
前述のごとく、冠名新しく、国家公務員共済組合連合会千早病院として昭和40年に75床として当地に開院しました。
昭和43年に110床、昭和48年に150床、昭和52年に200床と増床を続け、総合病院として地域医療に貢献してきました。現在は一部を地域包括病床に衣替えし、175床で運用しています。
現在は内科、循環器内科、外科、リウマチ科、整形外科、眼科、麻酔科、消化器内科、皮膚科、放射線科、リハビリテーション科を標榜しています。
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4.歴代院長
院長は共済組合連合会直営病院となった昭和25年から就任しています。
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初代 緒方 龍(京都大学) 在任期間:昭和25~30年(1950~1955年)
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付記:緒方龍は政治家・緒方竹虎の末弟であり、国連難民高等弁務官 緒方貞子の義理の叔父に当たる。
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2代 西岡利之(京城帝国大学) 在任期間:昭和30~55年(1955~1980年)
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3代 福田 正(九大1外科) 在任期間:昭和55~平成4年(1985~1992年)
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4代 内山元昭(九大1外科) 在任期間:平成5~平成10年(1993~1998年)
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5代 仁保喜之(九大1内科) 在任期間:平成12~平成20年(2000~2008年)
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6代 三好 晃(九大1外科) 在任期間:平成20~平成26年(2008~2014年)
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7代 明石 良夫(九大1外科) 在任期間:平成26~令和2年(2014~2020年)
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8代 道免 和文(九大1内科) 在任期間:令和2~現在(2020~ 現在)
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